朧月には、自然の花を見せたかった。花瓶に飾られた切り花ではなく、外の明るい大地に根づいた花を。
甘い言葉とともに花束を贈る、なんて気どったやり方よりも、花畑に連れ出してしまうほうが蒼刻の性に合っているし。
「もう、野薔薇がつぼみをつけているのですね。茉莉花もこんなに……」
彼とつないだ手の先で、みずみずしい色で揺れる花の名を口にしていく朧月は、柄にもなく浮かれて見える。
温かな空気と花のほかは特に見栄えのしない場所なのに、可愛いやつだ。
普通の人よりだいぶどんくさい少女が、ちょっとした段差でコケないよう気をつけながら、蒼刻は言った。
「よく知ってるな。幽鬼の話以外にも詳しいことがあるんだな、おまえ」
「いえ、詳しいというほどでも……。百花神仙の物語で覚えただけですから」
武人肌の蒼刻は、蓮華と言われたら汁物をすくうさじを真っ先に思い浮かべてしまうくらいだが、朧月が花を語る声を聴くのは心地よかった。
彼に心を開いた、甘いような声が耳にふれると、ささくれだっていた心が安らぐ。
「創生神話なら教えられた記憶はあるが、内容はあんまり覚えてないな」
「もしかして、神話はお好きではないのですか?」
「ざっくり言っちまうと苦手だ。説教くさいし、変な詩が多くて意味不明だし、戦記物みたくスカッとしないだろ」
どこか決まり悪そうに言う青年を見上げて、朧月はほころびそうになる口元を袖で隠した。
……なんだか可愛い。
普段は大人びていて、鋭い目つきで周囲を斬りつけているような青年なのに、ときどき十七歳相応になるのがいとおしいと思う。
そのまま告げたら「ばかを言うな」と怒られるだろうから、胸にしまったけれど。
「あそこで座るか」
人気のない林の中なので、落ち着ける木蔭はいくらでもある。
自分はまったく平気だが、まだ外に慣れていない少女は疲れただろうと思って、蒼刻は休憩に誘ってやった。
まず朧月を座らせ、自分も頭の下に腕を敷きながら寝そべろうとして、
「蒼刻さん。それでは腕が疲れそうですし、わたしの膝でよければ枕になさいませんか?」
大胆な発言でむせた。
天然公主というあだ名をつけられたこの娘は、ときどき素で刺激的なことを言う。
「いやおまえ、年頃の娘が何を――つうか、んなことしたらおまえの足がしびれるだろ。どんくさいくせに無理すんなよ」
動揺したせいで、うっかり憎まれ口みたいになってしまったが、彼女はさらに聞き捨てならないことを言い出した。
「大丈夫です。慣れておりますゆえ」
「!? なんで膝枕になんか慣れてんだよ」
「よく膝枕で、兄さまの耳をきれいにしてさしあげるのですが……」
「……なんだと?」
淡白な無表情のくせに妹に何をさせてやがんだと、ここにはいない男に内心毒づきながら、蒼刻は結局彼女の膝を借りた。
そして、ちょっと後悔した。……これは恥ずかしい。なめらかな裙子越しに、彼女の脚のなんともいえない感じや温もりが後頭部に伝わるせいで、逆に落ち着かない。
気をまぎらわせたくて視線をもたげると、やさしい木漏れ日が、まるで雪の上の光のように少女を照らしていた。
美しい黒髪を彼女は一部だけ結い、あとは流れるままにしている。
皇都ではやたらに凝った髪形が流行りだが、蒼刻は朧月の自然な髪型のほうが好みだ。
きれいだし、撫ぜて構うのも楽しい。
「幽鬼のお話でもいたしましょうか?」
「お得意の怪談か。それも悪くはないが、何か歌は知らないのか?」
「歌ですか? 知ってはいますが……歌うのは苦手で」
桜色に染まる朧月の頬。それを見ると、強引に歌わせてみたい衝動が疼く蒼刻だ。
この少女には、軽くつついたり困らせたくなる衝動を誘うところがある。
「まあ、今回は許してやろう。その代わり、後味のいいやつを聞かせろよ?」
「はい。では、捨て子を育てた幽鬼の話を」
蒼刻のわがままにこたえて物語を紡ぐのは、艶やかな桜桃の実を思わせる唇。
その甘やかな感触を、あのときは悠長に味わう余裕がなかったが、今思えばもったいなかったと思ってしまう。
それにしても不思議だ。朧月とこんな関係になるなんて。
ひと月前には想像もしなかった。彼女の手を離したくないと願う自分など。
朧月との出逢いは最悪というか――そりゃないだろ、と言うモノだったから。