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いずれの情か春涙

「雨が降りそうですね……」
 じわじわと暗くなりだした空を見上げ、朧月は心配そうにつぶやいた。
 たくさんの白詰草が左右を彩る裏街道だ。ほかに人通りのない、静かな風景の中、湿った風が花草木を揺らす。
「ほら、黒い雲があんなに増えてきて」
「春涙ってやつか。面倒だな」
 蒼刻がぼやく。春涙というのは、詩でまれに使われる春の雨の表現だ。
 情緒があるのかないのかわからない言い方は蒼刻らしくて、朧月はほっこりとした心地に包まれる。
 鞍に共乗りする青年を振り仰げば、青く燃える瞳にまず目を引かれた。
 武官らしい、線は鋭いが整った顔立ちだ。それとない品のよさを感じさせるものの、きかん気の強そうな眼光や近寄りがたさのほうが印象に残りやすい。さらに言えば、詩をたしなむようにも見えないのだが。
「蒼刻さん、意外と詩がお好きだったりするんですか?」
「別に好きってわけじゃねえよ」
 手綱を繰り、空をにらみつつ、蒼刻はおもしろくもなさそうに言った。
「ただ、俺も劉家だからな。教養として、その手のものも叩きこまれてる」
「……そういえば、蒼刻さんって貴族でしたね」
「忘れてたのかよ」
「う。ええと――その……ごめんなさい」
 じろりとにらまれて固まったあと、朧月はすぐに謝った。所詮、小心者なので。
 気どらず、失礼だがむしろ柄が悪いくらいなので忘れがちになるが、彼の名は劉蒼刻。劉家は、この国では皇族に次いで歴史の古い名家だ。
(また、こづかれてしまうかな)
 御曹司のお仕置きを覚悟して身を縮めるが、彼女の正直さに気が抜けたのか、もともと本気では怒っていなかったのか、蒼刻はあっさり肩をすくめた。
「ま、俺は貴族扱いされんのが苦手だからいいがな。世間にはそうじゃないやつのほうが多いから、皇都では気をつけろよ」
 はあ、とぼんやりした返事をしたところで引っかかる。気をつけろ?
「まさか皇都では、また貴族の方に逢わないといけないんですか?」
「一応その予定だ」
「……えー」
 朧月は声と顔に、げんなりしたのを隠さず出してしまう。
(蒼刻さんは別として……)
(貴族に関わるのは面倒そうだから、できれば避けて通りたいのになぁ)
 残念なことに、皇宮や貴族社会の華やかさに憧れるほど、明るくも無邪気でもないのが朧月である。むしろ自分だけの狭くて心地よい空間にはまりこむのが好きで、俗世のしがらみとは無縁でいたい、根っからの引きこもり体質だ。
(やっぱり帰ろうかな。……帰りたくなってきたな)
 そんな朧月の厄介なところを知っており、不本意だが扱いにも慣れてきている蒼刻は、彼女をやすやすと慰めたりはしない。
「今回の用事も皇宮がらみだってことは、出発する前に言っておいただろうが」
「それは覚えてますけど……」
「けど、なんだ?」
「その『用事』の内容がよくわからないから、心配なんですよ」
 蒼刻を信頼してついてきたはいいが、彼はなぜか何日経っても「今回の用事」についてちゃんと説明してくれようとしない。ただでさえ万事後ろ向き思考の朧月が不安になるには、充分すぎる状況だ。
 などと弱腰の彼女にしてはがんばって主張したのだが、蒼刻はやはり明言を避ける。
「皇都についたら全部説明する。だいたい俺に『わたしでお役に立てるならなんでもします』って言ったのはおまえだろ? 男に二言はないと思え」
「これでも一応女のつもりだったのですが……。それにわたし、そんな綺麗事、蒼刻さんに言いましたっけ」
「本気で忘れてるのかよ! ったく、しょうがねえやつだな」
 今度こそ軽く後頭部をこづかれたとき、ふと強い風が吹きつけてきた。
 花を散らし、雨雲をいざなうそれに、蒼刻が眉間のしわを深くする。
「いかん。雨を忘れてたな」
「……さすがに、雨の中を走ったりはしませんよね?」
「あたりまえだ。俺がついてるのにおまえを濡れねずみなんかにしたら、おまえの兄貴に合わす顔がない」
 しかしこの空の色では、遠からず、ぽつりと来るだろう。
「全力で馬を飛ばしてもいいんなら、降りだす前に次の街に着けるかもしれないが」
「! か、勘弁してください」
 今はゆるりと相乗りしているが、蒼刻が本気で飛ばすと死ぬほど荒い運転になるのだ。
 戦場で彼一人が乗りこなす分にはそれでいいだろうが、並の女性よりも貧弱な朧月に耐えられる試練ではない。実際、一度気絶したことがある。
「冗談だ。おまえを苛めても予定が遅れるだけ無意味だからな」
「…………」
「よし、急いで雨宿りできそうな場所を探すか。――張さん! 聞こえてたよな?」
 冗談に聞こえなかったような……と内心ぼやく朧月をよそに、蒼刻は右手の深い草むらへと呼びかける。
「無論じゃ、儂は耳は遠くなっておらぬぞ。では急ごうかの」
 ぞくりとする渋い美声を聞かせて、のれんのように緑をかき分け現れたのは、たくましい体躯の白虎だ。
 白虎の張さんは水晶めいた瞳で蒼刻を見ると、妙に重々しい口調で諭した。
「したが、儂らがせっかく邪魔せずにおいたのに、おぬしの話の色気のなさはいただけぬな」
「なに?」
 訝しそうに眉をひそめた青年武官に、白虎はにまりと口元をゆがめてみせる。
「なぜ口説かぬのかと言っておるのじゃよ。そうしたくないわけではあるまい?」
「……張さん」
 蒼刻がげんなりし、朧月がどうとりなそうか困っていると、今度は星彩が空気を読まない勢いで話に入ってきた。
「てゆうか武官さん、あたしをまるっと無視しないでくださいよ〜。冷たいっすねえ」
「あんたは殺しても死なずについてきそうだからな。心配はしてない」
「うわひどッ」
 撫子色の髪に華やかな衣裳。ちょっと大げさに頬をふくらませる、子供っぽい表情さえ魅力的な佳人だ。人なつっこそうで愛らしいが、めりはりのある肢体はどことなく透けていて、特に脚はほぼ見えない。
 皇都をめざすのに、わざわざ裏街道ばかり選んできたのは、彼らのためだ。
 幽鬼の星彩は普通の人には見えないからいいが、白虎はどうしても人を動揺させてしまう。
 それを避けて草の中を進む張さんと、彼と仲よくしていた星彩も合流し、朧月たちの旅路は急ににぎわいを増した。
 あれこれと言い合いながら、雨宿りができそうなところを探して先を急ぐ。

 ――悪い想像が得意な朧月でも、皇都で待ち受ける出逢いと別れがあんなに激しいものになるなんて、想像もしていなかった日のことだ。





 2巻の没バージョンの序章。採用ver.は文庫にて。
 なんちゃって中華ファンタジーなりに、漢詩のインテリジェンスなぞを織りこんだほうがいいのかと考えたりしたのですが、担当編集さまから「なんとなく出だしがローテンションですね」とご指摘いただいたので、全面リライト。
 このときはまだ、コメディのスイッチが入っていなかったのでしょう。と他人事の口調で。

 採用ver.は挿絵がでら可愛いのでぜひ見ていただきたいです。
 朧月の鞋というか足の感じが可愛い! とマニアックなつぶやき。

 2011.08.12. up.

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